インターネットが普及する前、テキストでの通信手段といえばパソコン通信だった。
それはネットのようにすべてがつながった世界ではなく、原則一つのホストコンピュータに会員のみがアクセスしてコンピュータやスポーツ・音楽などの趣味に関しての情報交換を楽しむ、ちょっと秘密の世界だった。
パソコン通信は死んでいなかった!
しかしインターネットが爆発的に広まると衰退。商用大手としては最後まで残っていた「ニフティサーブ」が2006年3月で全サービスを終了し、ここで世間的にはパソコン通信は終わった。
しかし実はその後もパソコン通信は生き長らえていた。
当時は大手サービスと同様に、個人的にホストを立てていた「草の根BBS」と呼ばれた小規模のパソコン通信が全国各地にあった。最盛期の数は2400以上とも言われ、こちらもネットの普及で大きく数を減らしたが、細々と生き残ったのだ。
残り5つほどの現役ホスト
いまでは現役のホストは5つ程度、さすがに電話回線を使った方式は姿を消し、「Telnet」というインターネット回線を使った方式が中心となった。これは現在のWindows10などにも搭載されており、設定すれば使用できる。
今回は貴重な現役ホストにアクセスし、運営者たちの話を聞いた。
最後のホストの一人は、48歳銀行員
「いま私以外のアクセスはまったくないので0です。私の独り言の場です。最盛期は日に10人くらいアクセスしてくれていたと思いますが……」
そう吐露してくれたのは、老舗のパソコン通信「西和ネット(旧:MYSTIQUE)」( http://jp3tlc.dip.jp/com/index.shtml#LINKS )のSYSOP(システムオペレーターの略で、パソコン通信の管理者)である山田和弘さん。48歳の銀行員だ。
「パソ通全盛のときは学生で、なかなか長時間回線をつなげませんでした。お金を節約するため、電話回線では無く、アマチュア無線で無料でつないでいたこともあります。そのため、ホストには憧れていて」
ようやくパソ通ホストになれたのが93~94年ごろ。すでにブームは終わりかけの時期だった。
「クラシックカーに憧れるようなもので、いまとなっては性能が低くても、それに乗りたいのと同じです。パソコン通信ホストになって、学生のときの夢を叶えたかったんです」
「アクセスはなくても当然なので気にしていません」
それでは中を色々見てみよう。慣れない操作でさまざまなボードを開けると、シンプルな黒画面と白い文字による、宇宙のような世界が広がる。
いろいろな投稿があるが、何やら会話の話題が古い。そう、最新の投稿が10年前というのも珍しくないのだ。
「アクセスはなくても当然なので気にしていません」と達観している山田さん。一人でも、細々と書き込みを続けている。ほぼ誰も見ていない、紙の日記帳へ書くのにも等しいにも関わらずである。
それでもごくたまに書き込みはあり、その際の話題はいまのWindowsなどのコンピュータの話や、「石油ストーブを買った」などの他愛もない話が中心だとか。
電報、時差チャット……パソコン通信独特のサービスが残る
現在、極めて希少な存在がファイルライブラリ。当時は貴重だった、各種ソフトやゲームをオンラインで入手できる場。「Windows3.1」「98用DOS」「MSX」用のソフトなどが並ぶ。
このほか、ログインしているユーザーにメッセージを送れる「電報」、短文での掲示板のように使う「時差チャット」など、パソコン通信ならではの機能が、いつかまた使われる日を待っているのだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180528-00007483-bunshun-soci
引用元: http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1527482303/