2020年01月24日 06:00
城所 岩生
先週末、政策研究大学院大学で開催された知的財産マネジメント研究会(Smips)で、ウィニー裁判で金子勇氏を弁護した壇俊光氏の話を聞いた。
昨年の投稿、「平成の敗北」と重なるウィニー開発者金子勇氏の悲劇(以下、「金子氏の悲劇」)では金子氏とのやりとりを以下のように紹介した。
2012年4月、幕張メッセで金子氏の講演を聴いた私は、質問の冒頭で、「金子さんは日本人に生まれて不幸だったかもしれない。なぜなら欧米版ウィニーを開発した北欧の技術者は、金子さんのように後ろ向きの裁判に7年半も空費させられることなく、その後、無料インターネット電話のスカイプを開発して、億万長者になったからである」と述べた。
その時は、まだ若いので、これから十分取り戻せると思っていたが、1年後に42歳の若さで急逝した。
億万長者になった欧米の同じ技術の開発者
北欧の技術者はスウェーデン人のニクラス・センストロム氏とデンマーク人のヤヌス・フリス氏。01年に欧米版ウィニーの「カザー」を開発した後、インターネット通話のスカイプを開発。05年にその技術を26億ドル(2886億円)で売却し、億万長者となった。
億万長者になったのは北欧の技術者だけではない。ウィニーが採用するP2P技術自体を開発したアメリカの技術者も億万長者になっている。1998年、大学1年生だったショーン・ファニング氏は、P2P技術を使ってナップスターを開発。翌99年、大学を中退してショーン・パーカー氏とともにナップスター社を設立。ファニング氏は00年10月にはタイム誌の表紙に掲載されるなど時の人になった。
ブラウザーを開発した天才ソフト技術者も億万長者に
終了後の懇親会で壇氏から金子氏の少年時代のエピソードをきいた。
「子どもなのでパソコンは買えなかった金子氏は、電器屋の店頭に置いているマイコンでプログラミングをしてゲームを作っていた。ただ、 作ったゲームのクオリティが あまりに 高いので、 お店の方からデモで使わせて欲しいと頼まれる程だった。 彼の回りにはいつも人だかりだった。」
話をきいて、億万長者になったアメリカ人天才技術者をもう一人思い出した。ネットスケープ・コミュニケーションズの創立者、マーク・アンドリーセン氏。同氏も高校時代に地元の図書館からプログラミングの本を借りて、その日のうちにプログラムを書いた。イリノイ大在学中に最初のインターネットのブラウザー(閲覧ソフト)モザイクを共同開発。
卒業後、シリコンバレーに移住し、94年に事業家のジム・クラーク博士とネットスケープ・コミュニケーションズを設立。モザイクを改良したネットスケープ・ナビゲーター(現在のファイヤーフォックス)を開発。
24歳でタイム誌の表紙を飾り、マスコミに次のビル・ゲイツやスティーブ・ジョッブスかと報じられるなど時代の寵児となった後、ベンチャーキャピタリストに転じ、ツイッター、フェイスブックなどの有望企業に投資した。
同氏が移り住んだ94年頃、シリコンバレーは冬の時代だった。このため、シリコンバレーも日本に乗っ取られるのではないかと懸念した同氏は、高校時代に技術者になるには日本語を学ばなければと思ったのに、実行しなかったのを後悔した。
日本のインターネットの父の評価
===== 後略 =====
全文は下記URLで
http://agora-web.jp/archives/2043926.html
引用元: http://egg.5ch.net/test/read.cgi/bizplus/1579896795/