平成における「決定的な遅れ」
思い描いたとおりの未来に進んでいく過程で、常に米国が情報革命やインターネット産業の中心に存在し、最近ではスマートフォンなどのデバイスで中国や韓国がリードしています。日本の存在感は平成という時代を通じて減退しました。
孫そうそう。平成は失われた30年間。日本は、まるごと下っていってしまった。昭和末期の1980年代、日本が「電子立国」と言って、家電を中心にすごく自信満々な時期がありました。そのときに、いわゆるソフトウエアのことをバカにしている人たちがいました。
僕らがいくら、「これからはソフトの方が大事ですよ。ソフトこそが頭脳で、ハードは言ってみればただの箱、道具にすぎません。ソフトが主役になる時代が絶対に来ます」ということを言っても、「ハードウエアこそが主役である」と。いかがわしい若い小僧たちがソフトウエアだとはしゃいでいるけれども、わけがわからないし、アルバイトで雇って書かせておけばいいと。そういう“大人”が多かった。
当時の日本の主流のビジネスマンたちは、モノをつくってなんぼ、モノづくりにこそ魂があるみたいなね。結局、それが日本の決定的な遅れにつながったんですね。
略
日本のAIの進化を遅らせる“老害”に危惧
つながるインターネットから、AIインターネットへと劇的な変化を迎える新時代に突入するにあたって、日本が抱える課題はなんだと思いますか?
孫新しい時代が来たというときに、振り切りすぎるぐらい振り切ってもなおかつ難しいわけですよ。なのに、中途半端な理解の学者も含めた“大人”たちが相も変わらず、「そっちに行ったら危ない」とか、「そっちに行くとこんな問題点がある」とか、言うわけです。これはもう百害あって一利なし。僕は日本にとって最大の害はそういう人たちだと思うんですよね。
いまや、米国や中国は、たとえば医療や建設、不動産、交通、そういったさまざまな産業やサービスの分野にAIの技術を取り込んで活用して、どんどん大きくなっていっている。なのに、活用すらできないでいる日本では、AI音痴の人になってしまっている人たちが、「AIはここに限界がある」「人間の仕事を奪ってしまう」みたいなことを偉そうに言うんですよ、知ったかぶりしてね。
パソコンやインターネットが出始めのころもそうだったんですよね。大人たちはすぐに未来を否定したがる。ハードウエアに固執して、それで日本は後れをとった。同じように、今度はAI革命に対してもインテリぶって、斜めに見るような人たちが、日本のAIの進化を決定的に遅らせてしまうんじゃないかと僕は危惧しています。
以下ソース
https://heisei.yahoo.co.jp/interview/4.html
引用元: http://egg.5ch.net/test/read.cgi/bizplus/1554189319/