創業時の業種をすべて捨てたHP 業界に多大な影響を与えた現存メーカー
2019年10月21日 12時00分更新
文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp
CEO交代で経営方針を大幅に変更
企業理念のHP Wayが限界に達する
HewlettとPackardの両氏が完全に引退したことで、企業文化に手を入れたPlatt氏は、ここから大幅にHPを変えていく。
新CEOのLewis E.Platt氏
画像の出典は、HPの1994年Annual Report(年次報告)
HPの企業文化といえばHP Wayであるが、実のところまだHewlett、Packard両氏がCEOを務めていた時期から、HP Wayそのものにひずみが出始めていたことを、自身が理解していた。
”
HP Wayにおける5つの基本的な価値観
1. 我々は、従業員一人一人を信頼し、尊敬する
2. 我々は、高いレベルの成果と貢献を重視する
3. 我々は、誠実をモットーとするビジネスを行なう
4. 我々はチームワークを大切にして、共通の目標を達成する
5. 我々は柔軟性と革新性を奨励する
”
実際、1995年にPackard氏が出版したThe HP Wayの中で、1980年台後半から「(問題に対処すべく)HPはさまざまな特別部門や評議会、委員会などを設置した。時間が経つにつれ、これらは複雑な官僚主義を生み出した」と供述している。
もともとのHP Wayは官僚主義の対極に位置するものであり、Open Door Policy(従業員は何時でも管理者に悩みや問題の相談をすることができる)や、MBWA(Management By Walking Around:歩きながら経営する。要するに管理者が現場に赴いて常に情報を確認することで、迅速な対応を可能にする)を目指すための指針だったはずである。
またこのHP Wayは、いわゆる家族主義的な経営方針にもつながり、この結果としてNon Laid-off Polycy、つまり従業員の首を切らないのがHPの特長でもあった。
このあたりの話は初期のIBMの経営方針にもつながる。最近でこそ、日本IBMのリストラがしばしばニュースになるが、かつてはIBMも社員をリストラしないことをポリシーに掲げていた時期があった。
ただIBMもそのポリシーを撤回せざるを得ない時期が来たし、それはHPにしても同じであった。Packard氏は1995年にHP Wayを出版したが、その中身を読むとHP Wayそのものが必ずしもうまく行っているとは言い難い状況にあることを率直に認めている。
そもそも創業時の1950~1960年代の頃は、何社か買収したとはいえそれほど従業員数も多くなかったが、その後の従業員数は右肩上がりで増えており、さらに1989年以降の買収ラッシュで従業員数は急速に増えていった。
1970年に1万6000人だった従業員数は、1980年には5万7000人、1990年には9万2000人にまで増えている。その1990年初頭には、製品グループが13、部門数は65も存在していた。ここまで大規模になると、それは官僚主義に陥っても仕方がないだろう。
Hewlett/Packard両氏の企業統治の仕方は分散経営であり、各事業部に大幅な権限移譲を行ない、個々の事業部がほぼ独立して動くスタイルになっていた。2人の後を継いだYoung氏もこの経営スタイルを踏襲したのだが、これだけ部門が増える(しかも似たような商品を扱っている)と、当然ながらぶつかるシーンも出てくる。
===== 後略 =====
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引用元: http://egg.5ch.net/test/read.cgi/bizplus/1571680270/