平成の30年は、電機王国が落日した30年だった。家電や半導体で世界をけん引した日本の電機産業が追われる立場から追う立場に変わった30年でもあった。「令和時代」は、身の丈に合わせた道を探るのか、それとも覇権とりに再び動くのか。平成が電機産業に残した問いは重い。
日本の半導体“終戦”
2012年2月27日、日本の半導体が「終戦」を迎えた。パソコンのメモリーに用いるDRAMメーカーのエルピーダメモリが破綻した日だ。坂本幸雄社長(当時)は会見で「急激な円高で競争力を完璧に失っている。1ドル70円台では企業努力ではカバーできない」と肩を落とした。
だが、為替の影響が無くても汎用メモリーでの競争力は保てなかっただろう。当時、DRAMは韓国のサムスン電子以外、各社が赤字だった。競争力の低下の根本にあったのは、技術の優位性がなくなりつつあったことやビジネスモデルの限界に直面したことだ。
日本勢は1990年代初頭に半導体の売上高の上位を独占したが、2019年、もはやその影もない。日本メーカーの存在感の低下は、装置メーカーの売上高に如実に表れている。
国内最大手の東京エレクトロンは94年に海外売上高比率は3割に過ぎなかったが、今では8割を超える。
日本の半導体メーカーはDRAMで韓国勢に押され、2000年代以降に、複数の機能を一つのチップ上に集約する「システムLSI」を成長のけん引役に位置づけた。技術力で顧客ごとの仕様にあわせる高付加価値路線に活路を見いだした。だが、各社のシステムLSIのほとんどは結局、採算がとれず、現在のルネサスエレクトロニクスに統合された。
日本の半導体メーカーは総合電機の一部門であったため、市場で求められているものをくみ取る製品を提案する力がなかったことが凋落の主因だ。
呉文精ルネサスエレクトロニクス社長はいまだにマーケティングの重要性を説く。「ご用聞き」の体質から抜け出し「何をつくるか」という古くて新しい課題が重くのしかかる。
以下ソース
https://newswitch.jp/p/17501
引用元: http://egg.5ch.net/test/read.cgi/bizplus/1557071263/