ビル・ゲイツとWindowsを開発、その後、袂を分かって日本に帰国し「アスキー」の社長になった西和彦氏。現在は、東京大学でIoTに関する研究者として活躍している。日本のIT業界を牽引したと言っても過言ではない西氏に、まずはWindowsの開発について語ってもらった。
中略
スマホにフルスペックWindowsなら
競争の風景は変わっていた
東大でこうしたテーマに取り組んでいる背景には、ITのパラダイムシフトの中で、マイクロソフトもビルも、そして私自身も「負けた」という意識があるからだ。
マイクロソフトはWindowsに磨きをかけていく過程で、必然的にCPUやメモリーといったハードウエアの問題に直面した。簡単に言えば、自らが作ったOSを動かすためのハードを自ら用意すべきなのか、それとも他社に委ねるのかという問題だ。
当時、私はマイクロソフトで、OSの受け皿となるパソコンの開発を担っていたから、必然的に自社開発を主張したのだが、ビル・ゲイツは最終的にハードウエアは他社に委ねることにし、ソフト開発に特化することにした。この戦略によりマイクロソフトは、半導体の景気サイクルに巻き込まれることもなく、ソフト開発で莫大な収益を獲得していく。
Windowsが果たした偉大な功績は、改めて紹介するまでもないだろう。パソコンは、1992年頃から世に出始め、マイクロソフトが1995年に発売したWindows95を契機に劇的に普及する。また、業務用ソフトとしても発展を続け、ビジネスオペレーションのインフラにもなっていった。
そんな巨人が、初めてうろたえるほどの衝撃を受けたのが、スマートフォンの登場だった。
マイクロソフトも、「Windowsモバイル」というスマホを開発した。このOS自体は、「iOS」や「アンドロイド」に決して負けない優れたOSだった。しかし、最大の戦略ミスは、Windowsのフルスペックをスマホに移植しなかったことだ。スマホでWindowsが動く世界、言い換えればWindowsがプラットホームとなるスマホを創らなかった。それが最大の敗因になった。
スマホでWindowsがフルで動かせたならば、絶対にWindowsが勝者になっていただろう。なぜならば、日常の暮らしや仕事で使っているOSが、そのままスマホというユビキタスなツールでも使えるからだ。
しかし、マイクロソフトにその発想はなかった。「スマホにはスマホのOSが必要だ」と考えたのだ。フルスペックWindowsのスマホへの移植に挑戦していれば、今の状況は大きく変わっていたはずだ。
こうしたマイクロソフトの戦略ミスを誘引したのはインテルだ、というのが私の見立てだ。
皆さんご存じの通り、マイクロソフトとインテルは、“ウィンテル”と呼ばれるコンビで躍進を続けてきた。「卵が先かニワトリが先か」ではないが、Windowsの機能向上にCPUの機能向上が呼応し、CPUの機能向上にWindowsの機能向上が呼応した。
「複雑な作業をとにかく早く」がウィンテルの基本思想だが、スマホにそれほどの機能はいらない。むしろローパワーな機能で十分だった。インテルにとっては“うまみ”がないが、もしマイクロソフトが彼らにローパワーなCPUを作らせていたら、戦いは変わっていただろう。
スティーブ・バルマーの辞任で
スマホ戦略に幕引き
マイクロソフトのスマホOS戦略は、CEOだったスティーブ・バルマーの実質的な引責辞任という形で幕を閉じる。
スティーブの辞任については、ちょっとした裏話がある。ビルは、その前からスティーブを辞めさせる時期を模索し続けていたのではないか。その絶好の機会となったのが、スマホOSの覇権をめぐる中でスティーブが手掛けた、ノキアの買収と失敗だった。
スティーブは、ビルの後を受け2000年にCEOに就任した。当時は、Windowsが覇権をさらに拡大させようとしていたと同時に、静かに“ポストWindows”とでも言うべき新たなITの主役が模索されていた時代でもあった。
スティーブは、Windowsの覇権拡大については、辣腕営業マンとしての力量をいかんなく発揮していた。しかし後者の、次なるIT世界の主役の模索と開拓については、まったくと言っていいほど成果を出せていなかった。その象徴が、ゲーム用機器「Xbox」への多額投資の決断と挫折だろう。ただスティーブは、自分の失敗でも人のせいにするところがあり、言い方は妙だがなかなか汚点を残さなかった。
https://diamond.jp/articles/-/174855
引用元: http://egg.5ch.net/test/read.cgi/bizplus/1531790714/