サムスン電子が11月1日、創立50周年を迎えた。サムスン電子はこの日、本社がある京畿道水原(スウォン)サムスンデジタルシティで金己男(キム・ギナム)代表取締役副会長の主宰で第50回創立記念式を開催する。サムスン電子の関係者は31日、「李在鎔(イ・ジェヨン)副会長は出席せず、以前の記念式のように質素に行う計画」と伝えた。サムスン電子は1969年1月13日に「サムスン電子工業(株)」としてスタートしたが、サムスン半導体通信合併日の1988年11月1日を創立記念日としている。
サムスン電子は昨年1年間の売上高が245兆ウォン(約23兆円)、営業利益は58兆ウォンだ。売上高は国内総生産(GDP)の約13%、約304兆ウォンの時価総額はKOSPI(韓国総合株価指数)市場の約30%を占める。国内の直接雇用人員は10万人。
初期は職員36人、資本金3億3000万ウォンで、初年度の売上高が3700万ウォンにすぎなかったが、50年間に売上高は約660万倍に増えた。またグローバル市場で1位の品目はDRAMメモリー半導体をはじめ、スマートフォン、テレビ、中小型ディスプレー(AMOLED)など12品目にのぼる。
サムスン電子の設立初年度の業績は純損失400万ウォンだった。しかし70年代には家電、80年代には半導体、90年代には携帯電話事業に進出し、それぞれの事業分野で世界1位になった。72年に白黒テレビを初めて生産したサムスン電子は2006年にボルドーLCDテレビでトップのソニーを抜き、13年連続で世界テレビ市場1位を守っている(IHSマーケット)。
創業者の故李秉チョル(イ・ビョンチョル)会長は1983年2月、東京宣言を通じてDRAM事業進出を宣言した。「日本ができるものは我々にもできる」という東京宣言後の同年11月、米国、日本に続いて世界で3番目に64K DRAM開発に成功した。92年に世界で初めて64MB DRAMを開発し、東芝やNEC、米国のテキサス・インスツルメンツなどを抜いた。その後、サムスン電子はDRAM世界市場40%以上のシェアで28年連続1位だ。
90年代には携帯電話市場に参入した。特に李健熙(イ・ゴンヒ)会長は93年、独フランクフルトで役員と海外駐在員など約200人を集めて発表した「新経営宣言」を通じて、「サムスンはもう量中心の意識・体質・制度・慣行から抜け出して、質中心に徹底的に変わらなければいけない」とし「妻と子どもを除いてすべてを変えるべき」と主張した。
サムスン電子はエニーコール(94年)をはじめ、ベンツフォン(2003年)、ブルーブラックフォン(2004年)などミリオンセラーを相次いで出した。2007年にアップルがiPhoneを発売し、ノキアやモトローラは姿を消したが、サムスン電子は2010年にギャラクシーSを出してアップルを追撃し始めた。今年はギャラクシーフォールド(折りたたみ式スマホ)でスマートフォン市場の最初のフォームファクター(外形)チェンジャーのタイトルをつかんだ。
サムスン電子は今年、類例のない不確実性と向き合っている。米中貿易紛争、日本の半導体素材輸出規制、半導体市場沈滞など外部の悪材料の中、国内では実質的トップの李在鎔(イ・ジェヨン)副会長の控訴審裁判が進行中だ。
李副会長はこうした状況で未来のための投資を強調している。李副会長は6月、電子系列会社の社長団会議でも「過去50年間、持続的な革新を可能にした原動力は、厳しい時期にも中断しなかった未来のための投資だった」と述べた。サムスン電子は昨年8月、第4次産業革命に対応して人工知能(AI)、第5世代通信(5G)、自動車電気装置半導体、システム半導体、バイオに180兆ウォン、今年4月には2030年までの非メモリー世界1位達成(半導体ビジョン2030)に向け133兆ウォンの投資計画を発表した。
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