セキュリティおよびIT運用サービスの米Splunkは、10月1日~4日までの4日間、米フロリダ州オーランドのウォルトディズニーワールド・スワンアンドドルフィンリゾートおよびESPN Arenaで、年次カンファレンス「.conf18」を開催。その最終日の基調講演に、Appleの共同創業者であるスティーブ・ウォズニアック氏が登壇した。
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スティーブ・ジョブズ氏とともにAppleを創業する以前は、Hewlett-Packard(HP)に在籍していたウォズニアック氏だが、「かつて、コンピュータは、米国に6台しかなかった。しかも、1台あたりが100万ドルもして、誰もが使えるものではなかった。私は、1人1人がコンピュータを持っていたら世界が変わると考えた。多くの人が利用できるコンピュータを作りたいと考えた。
だが、当時はそんなことは誰も考えなかった。いまのような、コンピュータで映画をみたり、音楽を聞いたりといった時代が訪れることもとても考えられなかった。私は、HP時代に、ここにいて、エンジニアで一生を過ごすだろうと思っていたが、それでも、いまから、5年後、10年後、50年後にはどんな世界にしたいのか。テクノロジーで人の生活を変え、人の生活を豊かにすることを考えてきた。その1つがパーソナルコンピュータだが、この企画は5回も拒否された」などとした。
HPには、14カ月間連続で稼働するバッテリ技術があり、ウォズニアック氏は、それを使って犬がどこにいるのかを知ることができるといったデバイスも考えたが、これを「成功するとは思ったが、却下された企画」の1つにあげた。そして、「このときには、意味がないようなさまざまなプロジェクトも数多く経験した」と振り返る。
スティーブ・ジョブズ
だが、こうしたウォズニアック氏の動きに、ずっと着目していたのがスティーブ・ジョブズ氏だ。
「彼は、古くからの友人であり、彼が16歳のときに、私の家にやってきて、子供たちが遊ぶように一緒にコンピュータで遊んだ。だが、ジョブズは、コンピュータのことはまったく知らなかった。しかし、ジョブズは、学生の頃から、20ドルをかけて作ったPCを40ドルにして売る才能を持っていた。そして、私はコンピュータをいじるのが大好きだった。在籍していたコンピュータクラブでインスピレーションを受けたら、それをかたちにしたいということだけを考えていた。Appleはそこから始まった」
Appleにとって、最初に大きな収益を得た製品は、Apple Ⅱだった。
「ジョブズは、たまには強引なところもあったが、マーケティングには長けていた。ビジネスの重要さは、エンジニアにはわからないが、そこをジョブズはよくわかっていた。エンジニアは、人々が求めているものを開発したり、いいものを作ったりすることに集中するが、ジョブズは、ビジネスには必ず利益が伴わないといけないことを理解していた。その姿勢はずっと同じで、iPhoneも技術的に優れていることはもちろん、エレガントで美しいデザインをしていたのはその証だ。エンジニアだけでは作れないものを作った。それは、ビジネスとして成功させるためにはなにが必要かということをしっかりと理解していたからだ」とする。
ウォズニアック氏とジョブズ氏は、同じスティーブという名前でありながらも、やることは対極的だ。
「私は、人と話すのが怖かった、研究室に籠もって、好きなことをできることがうれしかった。それが、Appleを創業した理由にもなっている。エンジニアとして、人々の生活を向上させることができればいいと考えており、それに集中した。だが、ジョブズは、世界中から注目を集める人になりたかった。これが彼のモチベーションになっていた」とする。
ウォズニアック氏は、「Appleでは、多くのお金が入ってきたが、私は、金持ちにはなりたくなかった。お金のことはまったく興味がなく、よいものを作りたいということだけを考え続けた。根っからのエンジニアであった」とも語る。
ウォズニアック氏は、Appleが株式公開をする際に、自らの所有していた株式の一部を社員に譲渡する仕組みを作ったエピソードも披露。これによって、多くの社員が、家を購入することができたり、子供を大学に通わせたりできるようになったという。お金に固執しない性格を物語るエピソードの1つだ。
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引用元: http://egg.5ch.net/test/read.cgi/bizplus/1539078197/